「捜査」や「逮捕」の重大さがもっと薄れてほしい

私は、「捜査したからには何かが出なきゃいけない」なんてプレッシャーは、かけない方がいいと思う。楽しい時間を台無しにされた怒りはわかるし、権力の行使には慎重であってほしい。しかし「疑い」の段階で捜査をしてはいけないとしたら、およそ捜査など成り立たない。

全く根拠なしに捜査が行われたのではないかと疑い、情報収集を開始するのはいい。だが、結果だけ見て前提を決め付けるなら、「想定している悪と自分自身に何の差があるのか」という話になる。警察はいつも予算と人手が足りない役所。何らかの情報提供があって動いたと考える方が、私の感覚では自然だ。しかし、どんな組織にも無責任な人はいるから、理由なく捜査が実施された可能性もゼロではないと思う。それは否定しない。だが究極的には、捜査の空振りは「許容すべき」というのが私のスタンス。

私の中ではこの問題、「逮捕されただけで人生オシマイ」といったあたりと関連している。私たちが少ない情報で他人を決め付けることをやめない限り、そうした状況は変えられない。そして、「安直に決め付けない」姿勢は、警察に対しても同様に適用されるべきだ。「疑う」が「決め付けない」ことが大切。

ともあれ、警察は捜査の過程で多くの人を傷つけ、また経済的な損害も生み出すことになる。現状は改善されるべきだが、将来的にもこうした問題がゼロになることはない。個人的には、少なくとも金銭に換算できる部分については、捜査による様々な損害について積極的に補償すべきだ(そのために必要なら増税を受け入れていい)と思っている。