「批判すること」と「『消えてなくなってしまえ』と思うこと」との違い

私は虚構新聞が好きで、はてなブックマーク経由で、月に1回くらいまとめ読みしている。ただ、「虚構新聞はもっと批判されないとアンバランス」とも思っていた。

過去に私が書いてきた中では、Togetter批判も、「Togetterは今すぐTwitter API利用規約を守れ」という意図ではない。利用規約は守っていないTogetterは、もっと多くの批判を受けて然るべきだ。さりとて「ルール違反のサービスは今すぐ退場すべき」とは思わない。仮に二者択一ならば、私はTogetterの存続を支持する。

虚構新聞について、私は多くの点で批判側に賛同する。しかし、「だから虚構新聞は廃刊すべき」とは考えていない。「何一つ改善しない」が社主の結論でもよいと思う。思うが、虚構新聞は、そのひどさの度合いに見合った批判を受けるべきだ。何度も何度も、話題になるだび、批判され続けるべきだ。

従来から批判はあった。あったが、割合をいえば、批判は僅かだった。それは正当なバランスではなかったと私は思っている。

……とはいうものの、私自身ずっと虚構新聞批判を書かずにきたし、これからもおそらく書くまい。

補記:

許容≠批判しない
支持≠批判は不当
不支持≠法規制に賛成