トレードオフ

1.

はてブでは、手法はともかく主張そのものについては、高木さんの側に与する人が多いみたい。

高木さんの論理には多分、隙がないのだろう。でも私は、高木さんの前提に賛成しない。だから、高木さんの主張にも賛成しない。なお、現行法に照らしてどうなのか、といったことは脇に置く。それはいま、私の主要な関心事ではないからだ。

私は、とくにIT系の話題で、「問題が起きない仕組みを作れ」という主張が強く支持されるのが気に食わない。これはしばしば「できることはやっていい」という主張とセットになっていて(ちなみに高木さんはこの立場には否定的だと私は認識しています)、ますます気に食わない。

焦点は「たかがPASMOの利用履歴」であって、不正利用を社会的なルールによって縛れば十分だと私は思う。ようするに、利便性を犠牲にしてまで、プライバシーの侵害を「未然に完全に防ぐ」ことを要する問題ではないのではないか。ルールを踏みにじる少数の不正な利用者に対して、損害賠償請求なり何なりで対処していけばいいことだと、私には思える。

高木さんはPASMOの番号と氏名、電話番号を把握しているタイムズ社が、顧客のプライバシーを覗き見ることが「可能」な仕組みを批判されている。私は、「可能」であることを問題視しない。賃貸住宅に暮らしている人は、いつだってマスターキーを持つ大家に家の中を除き見られる可能性があるわけだが、そっちは多分、気にしないわけだろう。だったらどうしてIT系の話でばっかり「可能性すら許せない」となるのか。世の中、そういう方向にいくべきではないと思う。

「できる」けど「やってはいけない」ことは、世の中にたくさんあるではないか。私が昔から使っている例だが、万引きだってそうだ。カジュアルな万引きを完全に防ぎたければ、自動販売機方式を徹底すればいい。購入前の商品に消費者が手を触れられないようにしたらいい。「万引きできるのはおかしい」といって、そういう世の中になるのを望むのと、PASMOの利用履歴をネットで閲覧できる仕組みをやめろというのは、私にとっては同列である。

こう書くと、あれこれ「違い」をご説明してくださる方が出てくるのかもしれないが、ようするに私は「あなた方の仰る「違い」を「議論を左右するような本質的な違い」だと認めない」といっている。

賃貸住宅のマスターキーは、しばしば配電盤とかに無造作に「隠されて」いる。それは何故かといえば、不動産会社が見学者を案内する際、いちいち(10km以上離れた場所にいる)大家のところへ鍵を取りに行くと、限られた時間で多くの物件を内覧することなど不可能だからだ。近場の引越しならいいが、遠く離れた土地まで下見に出かけて、1日がかりで2〜3件しか内覧できないのでは疲弊する。逆にいえば、その程度の利便性のために、少なからぬ人々が、プライバシーその他の様々なリスクを甘受して生活を送っているわけだ。

ある人のPASMOの番号と、氏名と電話番号を知っている第三者が、PASMO利用規約を無視して勝手に他者のPASMOの利用履歴を閲覧したとする。さて、悪いのはPASMOなのか。繰り返すが、現行法に照らしてどうなのか、といったことは脇に置く。私は、PASMOの仕組みは、悪用のリスクと利便性を天秤にかけて、社会的に許容できるものだと思う。私は、この仕組みを守って、悪用する人だけを批判したい。

2.

先日、ねんきん定期便が届いた。ねんきんネットの登録に使うアクセスキーというのが印刷されていたが、他に基礎年金番号がわからないと、ねんきんネットは利用できないのだそうだ。基礎年金番号は前年に届いた定期便に記載されているので、それを見てください、という。とっくに捨てたよ、あんなの。保存しておく価値のありそうな情報なんて、昨年の時点では何一つなかったんだから。

基礎年金番号は、勤務先に問い合わせてもわかるし、日本年金機構へ電話で依頼すれば郵送してくれるともいう。でも、説明を読む限り、そこまでして利用する価値のあるサービスじゃないんだよな、ねんきんネットなんて。ねんきん定期便を捨てても困らないようにするためのサービス、という感じ。

アクセスキーには有効期限があるそうなので、私は今年の定期便も捨てた。来年の定期便にも、きっとアクセスキーしか印刷してないんだろう。で、私はまたそれを捨てる。繰り返すけど、ねんきんネットなんて、基礎年金番号を調べる手間に見合わない情報しか提供してくれない。なので、日本年金機構が今年度と同等のプライバシー保護方針を堅持する限り私は、退職して(いったん会社に預けた)年金手帳を再び手にするまでずっと、ねんきんネットとは無縁であり続けるだろう。

なんかね、こういうのって、アホらしいと思うわけ。注力すべきは、ルール違反をする人を捕まえて(悪の程度に見合った何らかの)罰を与えることではないのか。悪いことを考える人がいても、プライバシーの侵害が絶対に起きないようにしようと頑張って、そのためにサービスの利用の敷居が高くなって、それで私が「だったら使わない」となるのって、力の入れどころが違うんじゃないか。

3.

自動車の衝突安全設計とかを全否定したいわけではない。事故を起こしたドライバーを厳罰に処していくだけでは交通事故の死者は(十分には)減らせなかった。でも、プライバシーの保護に関しては、「高木さんの設定している安全のハードルは高すぎる」と私は思う。

まあ、高木さんとしては「事前のリスクに関するアナウンスが足りないと指摘しているだけ」なのかな、とも思うけど(つまり、PASMOの仕組み自体を全否定しているわけじゃない)。ただ、そうだとしても、「(高木さんが納得できる水準での)リスクの広報など現実には不可能なのだからサービスを停止すべきだ」と(事実上)踏み込んでいるわけで、形式的にはどうあれ、やはり実質的には相当に考え方が違う。

自動車だってさ、「自動車の前を人が歩いて先導しなければならぬ」という赤旗法は、廃止されたわけじゃないか。赤旗法があれば、死亡につながるような交通事故の95%は排除できそうなのに、それでも廃止。安全は絶対ではなく、ある程度は利便性に譲る部分もあるわけ。命に関わる問題ですら、そうなんだから、「たかがPASMOの利用履歴」くらい、利便性の方に相当程度まで寄せていいと思うわけ。

やっぱりSUICAの利用履歴がネットで見れたら、便利だよ。いまさら、駅でSUICAを秘密のパスワードとセットで再発行してもらうとか、そこまでしたくない。そういう面倒なしに、利用履歴を見たい。

……ん? いや待てよ。たったそれだけの手間なら、やっぱりSUICAを再発行してもらってもいいかな。むー。