犬を飼う

先日、出張のついでに実家へ帰ったときに、母が「犬を飼いたい」といっていた。

私が大学を卒業して社会人になり、浪人生だった弟が大学生になり、同時に子どもが二人とも家からいなくなってしまったので、手持ち無沙汰になったらしい。この2年、庭いじりにたいそう精を出したと見えて、冬でも花が咲いているのだった。

父は秋に定年を迎えたのに、相変わらず毎日のように会社へ出勤している。ただでさえ少なかった給料が、もっと減ってしまったけれども、働かないよりはましだという考えらしい。さすがに、私の仕送りを弟の学費にするのはプライドが許さないのだろう。……なんて偉そうに書いてみたけれど、月に6〜8万円では何にも足りていない。実直な父が青二才に稼ぎを任せるはずがなかった。

さて。

犬は、ていねいに飼えば主人に忠実に育つ。いつも温かく、たいへんかわいい。家にいても何一つ役に立たなかったぐうたら息子より、よほど親孝行するだろう。そう思ったので、私は母の考えに賛成した。早速、飼う犬を探しにいこうかというと、それはできないのだという。父が反対していたのだった。

父は子どもがそのまま歳を取ったような人だ。せっかく子離れしたのに、今度は犬を飼うというのではやりきれないだろう。しかし、犬を飼わなかったからといって、何が変わるわけではない。それは父もわかっている。大切なのは、母がいったんは我慢するということだ。そういう、「形」が重要なのである。

母は、しばらく我慢するという。子どものいう「しばらく」は2、3日だったりするけれど、両親の老後の生活は20年以上続く(つもりでいるらしい)。来年の母の日にでも、私が犬をプレゼントしようかとも思ったのだけれど、考えを改めた。これは私が思い上がったことをしてはいけない問題だ。

おそらく、そう遠くない日に、父が母に犬を贈るだろう。家族はみな、じっとその日を待つのみだ。