資格を問えば袋小路

一流の野球選手、必ずしも一流の野球評論家ならず。一流の音楽家、必ずしも一流の音楽評論家ならず。一流の経営者、必ずしも一流の経営コンサルタントならず。一流の政治家、必ずしも一流の政治評論家ならず。一流の軍人、必ずしも一流の軍事評論家ならず。いずれも、その逆もしかり。意見する人というのは、あくまでも意見が素晴らしければそれでいいのであって、意見する内容について自分自身が相手以上にうまくできる必要などありません。
以上を踏まえて。
政治家を馬鹿にし、批判しまくる庶民は多いわけですが、ぶつぶついっている人々の99%以上はどんなに頑張っても政治家にはなれません。もしなったとしても、やっぱり庶民に馬鹿にされ、批判されまくる程度のことしかできないでしょう。だからといって、庶民は政治家を馬鹿にしたり、批判しまくったりしてはいけないのでしょうか? いや、政治家はプロだからいいんだ? それは違います。相手が素人であっても話は同じです。
町内会長というのはボランティアです。仕事ばかりたくさんあって、報酬はまったくありません。それでも、毎年誰かが、例えば私の父のような冴えない窓際族のサラリーマンが職責を負うわけです。しかし、面倒を引き受けてくれるだけでありがたいと住民が思ってくれるかというと、そんなことはありません。父のもとにはつまらない苦情や批判がひっきりなしに押し寄せてきました。父は「力不足で申し訳ない」というばかりでしたが、さて、住民の行動として正しいのは、文句をいわないことなのでしょうか?
政治の話を離れて、社員旅行の余興について。一発芸、やります! などといって見事に滑る人がいます。当然、つっこみが入るわけですが、「おいおい、勘弁してくれよ〜」なんていっている人が、もっと凄い一発芸ができるかといえば、そんなことはありません。つっこみを入れることしかできない、という場合が少なくないのです。じゃあ、そういう人はつっこみを入れるべきではないのでしょうか?
自分の方が馬鹿であっても、人を馬鹿だということはできます。少なくとも、自分の方が馬鹿だから相手に馬鹿といってはいけない、というのはおかしい。自分の方が馬鹿であっても、相手に馬鹿といっていい場合もありうるのではありませんか。というか、自分の方が馬鹿か賢いかということは、相手に馬鹿といっていいかどうかの判断基準とならない場合が多いだろうと思います。