「自分と違う視点」への想像力

1.

しばらく前に、私がよく読んでいたブログの書き手がブラウザゲームを作って公開した。そのゲームの公開ページには意見・要望掲示板があった。そこに書かれていたプレーヤーの要求は、ザックリまとめると「便利にしろ」「**を簡単にしろ」の2つだった。

単純には、「それが本音というものだろう……」とは思った。しかし何でもかんでも「便利」「簡単」にしてしまうと、「ゲームって何?」ってことになる。コンピュータゲームは、「わざわざ苦労して、客観的には無意味な報酬を得る」という娯楽。苦労や手間を否定して報酬だけ得られるようにしたらどうなるかといえば、「報酬の無意味さ」が浮き彫りになってゲームの根本が崩壊するだろう。

数日もやもや感があったのだが、ふと気付いた。人それぞれ「進んで苦労したいこと」「パスしたいこと」があるものだ。自分が楽しく苦労できる要素だけからなるゲームを欲し、「ここでは苦労したくない」という要素を指摘しているだけ……と考えれば、だいたい理解できる。

わかってしまえば当たり前の話で、長い間もやもやしていたのがバカらしい感じもする。

2.

「自分が面白いと思わない部分は、他の人にとっても面白くないに決まっている」と決め付ける人が多いのにはウンザリ。これはゲームに限ったことではないが、ゲームというのは必要から遊離しているだけに、全ての要素が攻撃の対象となりうるのが面白いところだと思う。「エッ!? それも無駄だっていうの?」と。