向き合う

以下、リンク先とは、ほぼ無関係。

1.

私の母方の祖父は、脳内出血を起こした翌日に亡くなった。前の晩から祖父は無口だったそうだ。そうして駐車場の集金に出かけ、昏倒して亡くなった。死後に日記帳を開くと、前の晩から急に字が乱れていた。それで、脳内出血が起きたのは亡くなる前日だったことがハッキリした。

祖父の死について、祖母は「ピンピンコロリの夢を見事にかなえた大往生」と評した。祖父の実母が何年も寝たきりで家族の手を煩わせたのを見てきたので、「ああなるのは嫌だ」との思いを強く強く持っていたのである。

その祖母は、癌の手術と闘病を拒否して亡くなった。癌が再発した場所のひとつが耳であり、手術すれば片目と片耳を失うと知った祖母は、「これで手術を受けない理由ができた」といった。「痛いのとつらいのは嫌だ」とだけいい、癌の痛みを軽減する治療だけを受け、最後の1年半のほとんどを自宅で過ごした。

祖母の死亡診断書によると、死因はすい臓がんとなっていた。癌を放置したことであちこちに転移し、最終的に「すい臓がんが最後の一押しになった」のだそうだ。

2.

父方の祖父は入院生活が長引いている。その切っ掛けは脳溢血である。祖父が脳溢血を起こした日、たまたま孫の一人(私のいとこ)がきていた。

祖父のろれつが回らない様子に気づいて、孫は「病院へ行こう」といった。だが祖父は、「大丈夫だ」といって病院へ行くのを拒絶した。それで喧嘩になった。そして半日後、祖父は足腰が立たなくなった。祖父は「寝れば治る」といったが、もう抵抗できない状態だったので、孫が無理やり病院へと運んだ。

それで祖父は一命を取り留めたのだが、果たしてそれが良かったのか悪かったのか。もう闘病生活は2年を越えている。3回ほど「もうダメかも」と連絡がきたが、そのたび緊急手術などが成功し、助かった。

歩けない、喋れない、毎日毎日タンで息が苦しい。寝てるのか起きてるのかもよくわからない。タン吸引のときだけは、痛くて苦しくて悲鳴を上げる。「担当者が下手なんじゃないか」という声もあったが、入院先が変わってもその点に違いがなかったので、医療不信の方も「そういうものなのか」と諦めた。

祖父を助けた孫の前ではみな口をつぐむが、お見舞いに訪れた親族が顔を合わせると「自分のときは死なせてほしい」「幸運の女神には後ろ髪がない」という会話になる。ピンピンコロリのチャンスは絶対に逃してはいけない、という意味である。神様は、そう何度もチャンスをくれはしない。

3.

「あんなに健康に関心があって、名医名鑑みたいな本を眺めるのが大好きな人が、どうしてあのときに限って病院へ行くのを嫌がったんだろうか」
「虫の知らせでもあったんじゃないの」
「でも、足腰が立たないのを見てしまったら、いくら当人の希望でも放っておいたら犯罪になりそう」
「いくらピンピンコロリのためでも、家族が犯罪者になるのはダメだね」
「言葉が出せなくなると、手術を自分の意思で拒否できないのが困る」
「家族から見たら生き地獄だけど、本人はそれでも生きたいのかもしれないし、家族は手術に同意するしかない」
「これだけ苦労したんだから、先生は期待しないでほしいと仰ってたけど、また元気になってほしい」
「努力が報われないのが人生だよ」
「やっぱり自分は、倒れたらそのまま死にたいな」
「今日でもいいの?」
「……」

いい加減、こうした会話にも飽きた。