お客様は神様じゃなくて

「リンクするのはいいけれど、基本的には転載を推奨します」ということを私は繰り返しいっているわけですが、リンクだけで済ませようとなさる方が多いですね。私はローカルのファイル構成とサーバ上のファイル構成を同じにしていて、ローカル側の都合で WWW に公開したリソースの URI をしょっちゅう変えています。当然のようにあちこちでリンク切れが生じているわけですが、私は頓着しません。私は困りませんから。ファイルを移動した本人だから、消えたファイルがどこへいったかわかっているのです。

リンクした人は困るのかもしれませんけれども、「だから転載推奨っていったでしょ」という話。

もともと私はあまりサイト内の関連文書を相互リンクしていないのですが、これも同じ理由です。リンクする必要がないんですね。検索もローカルでやった方が絶対に早いし高性能だし簡単だから、サイト上に検索機能を構築する必要を微塵も感じません。

私は一人で日記を書いていると(「自分のためだけに文章を書くのは面倒くさすぎる」ため)どうしても続かなくて、仕方ないから「誰かが楽しみに読んでいるんじゃないか」という妄想を抱ける環境として WWW を選んだわけです。結果的に、こうしてたくさんの文章を書くことができて満足なんですけれども、逆にいえば既に満足してしまっているわけです。だから、これ以上ですね、読者のために何かしようとは思わない。そうする動機がない。ないがしろにするつもりはないのです。ただ、最低限のサービスは既に提供しているつもりです。「これ以上を望むなら、手間を惜しまないでください」といいたいわけです。

リンク切れを起こさないようにするのは面倒なんです。あらかじめうんと考えて、リソースの移動をなくすよう努力しなきゃいけない。移動するならするで、サーバ側で自動的に移動先を参照させるよう htaccess なんかを記述しないといけない。そういうのは面倒だから、私はやりません。その代わりに「著作権を主張しない」わけです。リンクせずに転載すればいいでしょう、と。誰かが手間をかけなければ、リンク切れはなくなりません。といっても、ふつうはリンクする側に対処法がないのですが、例えば私のような著作者が増えれば、そういった状況は変化しますよね。

ユーザビリティとかアクセシビリティといった話になると、たいていコンテンツ製作者がどこまでも苦労していく話になっています。それはお客様が神様だからです。けれども趣味レベルの話であれば、お客様は神様じゃなくて、製作者と持ちつ持たれつの関係です。利用者に主導権を渡して、「どうぞ好きにしてください」というやり方もできるということです。

例えば「転載自由」ということによって、製作者は気兼ねなくサイトを閉鎖できるようになります。私は記事の公開をやめたくなったら、公開をやめます。でも、転載者は転載し続けたらいい。新しい記事が公開されない、ということを悲しむ人のことは気になっても、古い記事が消えて怒る人には強気でこういえるから。「怒るくらいなら、転載しておけばよかったのに。自分は何の苦労もせずに、手間もかけずに、勝手なことをいわないでほしいな」

私は基本的にこういった考え方をするので、「CSSは文法違反にならないように記述してあればそれでいい(仮に問題が生じても閲覧者は製作者スタイルシートをユーザスタイルシートで上書きできる)」とか、「音楽を鳴らしたい人は鳴らせばいい(それが嫌な閲覧者は音楽を無視するように設定すればいい)」などと説明します。

ここはそういう意見が読めるサイトです。云々。