私は、つまらない悩みを解消するという意図も込みで、著作権を主張しませんという宣言をしています。三宅さんがおっしゃるように、WWWで著作権を厳密に保護するのは困難であり、まじめに取り組むと労多くして実り少なしという現実に悩まされることになります。WWWへ情報を公開するならば、ある程度の著作権侵害はどうしても防ぎようがないのが現実です。そこに、コペルニクス的転回が誕生する余地があります。最初から著作権侵害を認めてしまえば、問題は根本的に解消され、悩みがなくなるじゃないか、というわけです。著作権を守ったところで物質的な利益は何もないわけですから、頭を切り替えて精神的負担を解消した方が幸せになれるのです。

しかし、世の中には著作権をどうしても守りたい方々が非常に多い。そして彼らには、損得勘定による説得が通じないことが少なくない。いや、この表現は不正確ですね。彼らは著作権を完全に保護することの不可能は認めますが、ある程度でも著作権の侵害を減らすことができるなら、それを無意味だとは考えません。つまり、完全に著作権が保護されなければ不愉快だ、というわけではない。著作権の侵害は認めません、と明記すればほとんどの人は著作権侵害を控えるのだから、転載も改変も自由というより、こっちの方がいい、ということになります。

ちょっとしたパクりに大騒ぎする人が多いので、私は「完全に著作権が保護されなければ不愉快だ、というわけではない」というあたり、大いに疑問を感じるのですが、それをいってもダメなんですよね。大騒ぎすること自体、「見せしめとしての効果を狙っている」といわれれば、ホントかなあと思いつつも、まあ納得するしかないというか。たしかに、すべての小さなパクりに気付くことは不可能なのだから、気付いたところを全て糾弾しても、「完璧な著作権保護なんて夢を見ているわけではない」という論は崩れない。