産経抄を批判する/クローン人間と一卵性双生児

産経新聞論説委員の石井英夫さんは、乱暴にいってしまえば一日に書く記事は一本の短いコラムだけだというのに、しばしばろくな取材もせずに思いついたことをそのまま書く。1月29日の産経抄にはこんな記述があった。


たまたま開いた『水明』という句誌の一月号に主宰・星野紗一氏の現代俳句があり、「鯛焼ぞくぞくクローン人間生まれさう」と。なるほどタイ焼きやタコ焼きなどのように、鉄板の鋳型でクローン人間が作られる悪夢を見た思いになった。

しかしタイ焼きならばしっぽまであんこが入っていないのもあるし、タコ焼きなら具のタコに大小の違いもあるだろう。ところがクローン人間なら同じ遺伝子をもつ個体だから、寸分たがわぬものが生まれる。クローン人間は“コピー人間”かもしれない。

クローン人間という言葉の響きだけで何事かを判断する人が多すぎる。石井さんもその仲間だったようだ。以下、反論を述べる。

  • クローン人間とは、ここでは遺伝子情報の共通する人間という意味だろう。じつは、一卵性双生児も、二人の遺伝子情報は全く同じである。クローン人間について書くならば、まずこの事実を押さえなければならないはずだ。
  • 一卵性双生児の肉体を観察すると、まず遺伝子情報に左右されないほくろの位置が異なっていることに気付く。あざの位置、形ともに異なる。静脈を透かしてみると、これも全然違っている。遺伝子情報が、人間のすべてを決めるわけではない。精神のみならず、肉体的な差異も、表面を探っただけでことほど左様に無数に見つかるのである。
  • 一卵性双生児の親ならみな知っていることだが、得意な教科はしばしば異なっている。苦手な教科も、しばしば異なる。得意なスポーツ、苦手なスポーツも、しばしば異なる。成長するにつれて精神面の差異は明らかとなってくることが少なくなく、洋服や髪型の好みや好きな芸能人などは、私の知る例ではまったく異なっていた。
  • 一卵性双生児はたしかに同じ遺伝子情報を持って生まれるが、別個の生命として出発し、成長する。当然、二人は異なる人生を歩む、別々の人間である。
  • 顔貌、体格の似ているだけで"コピー人間"などと軽軽しくいってはならない。クローン人間という言葉にとらわれて、実際には起こりえないようなことを勝手に想像して怖がっていてはいけない。クローン人間について論じるとき、一卵性双生児を失念していることは明らかで、この取材不足がそもそもの間違いである。石井英夫さんには猛省を求めたい。

以上の内容を、産経新聞社に産経抄筆者様としてメールで送った。いやしくも記者を名乗るならば、記事は取材に基づいて書くべし、といったいらざる言葉も添えた。私はバカだ。